【マラウイ活動日記】感動した!マラウイ人の方がボランティアしてるじゃん!!と感動と情けなさを感じた日【86日目】

午前のリハビリ。

職場について早々、同僚のテムからこの人Bacl painだけど見てみる?と言われたが、できなかった。というか断ってしまった。しばらく整形を見てなかったのもあり自信がなかったのと何より患者とコミュニケーションが取れるか自信がなかった。もっと英語とチェワ語の簡単な指示の仕方くらい勉強しておけばと後悔している。早く覚えないと。

月曜日は整形の日で整形疾患の患者さんがたくさん来る。最初に見た患者さんはKnee Pain と母指に痛みのある症例。もちろん、一人でなく同僚のハナと一緒に。そしてこの症例実がなんと僕が住んでいる家のオーナーのお母さんとのこと。さすがにLand ownerともなると英語がペラペラ。マラウイではある程度裕福な家庭の人は英語が堪能な方が多い。

で、この症例、knee painは両膝ともにあり、はじめは左だけだったが次第に右も痛くなって来たとのこと。両膝とも内反膝いわゆるO脚で典型的な膝OAの患者。

O脚は英語でBowlegsまたはgenu varumという。genu varumは医学用語でBowlegsは一般用語。脚が弓状にみえるからbow(弓)ということか。

ちなみにX脚は英語でKnock-kneesまたはGenu valgumという。knock-kneeの方は一般用語みたい。ちなみに膝同士がくっついてノックしている様子から。

genuは膝関節のことでvalgumは外側という意味。

その後はclubfootに対するPOP作成。基本2人1組で行う。まず1人が赤ちゃんの足部の評価をしてアライメントを整えて保持し、コットンバンテージを巻く。そしてもう1人がその上からPOP(石膏バンテージ)を巻く。POPは巻く前に水に濡らして置く

POPのバンテージを巻くときのコツは

  1. 足指は出す
  2. バンテージの半分を目安に重ねて巻く
  3. しっかりtightに巻く
  4. 巻きながら石膏が滑らかになるようにならしていく
  5. 圧迫はかけない(指での一点集中など)

となかなかスキルのいる作業で初めてやらしてもらったけど結構難しかった。

特に元気な赤ちゃんは動きまくるからとても難しい。

だけど、同僚たちが親切にサポートしてくれたからなんとできまた。早くちゃんとできるようになってチームの力になりたいです。

今日の英単語

O脚:Bowlegsまたはgenu varum

X脚:Knock-kneesまたはGenu valgum

午後:カスングにある村に行きボランティア

普段は金曜日の午後は仕事お休みだけど、この日はとある村に行き何かをするとのこと(英語力がなくて何をするのか今時点ではわからなかった)で、自由参加らしく「行きたいなら連れて行くよ」と言われ内心(日本だと普通に遠回しのサービス残業命令だよね)と思いまながら、なるべくしっかりと同僚とのラポールを早く築きたかったので、すごく疲れていたけど参加することにしました。

一度家に帰り手早く昼食を済ませて待ち合わせの場所に行くと、同僚以外にもカメラをもったジャーナリスト風の男性とその秘書?相棒?的な女性、そして以前カントリーツアーで出会った車椅子の男性がいた。そして、聞くところによるとどうやらこれから行く村には、脚の不自由な少年がおりそのせいで、学校をドロップアウトしてしまったらしい。その少年に車椅子の寄付をしに行くとのこと。

同僚の車で1時間半ほど走ってもなかなかつかずドンドンよくわからない平原の中に入っていきました。同僚のによるとその村は近くの街(ムカンダ)から7kmほど離れており、さらにその街にはヘルスセンターはないそうなので、村の人はもちろん街の人たちも十分な医療を受けることができない状態であるとのことです。

そのためムチンジの県立病院にはわざわざムカンダから患者が来ることもあるそうです。

話は戻って、ムカンダから村に向かう道中は本当に何もなく、道なのかよくわからい悪路をずっと走り続けました。途中何度も車の底を擦ったことか。。。

乗りながら、内心「これは本当に無事に帰ることができるのか?」と少し不安になりました笑

途中いくつかの村を通り過ぎたが、マラウイがなんで世界最貧国の一つなのかわかった気がしました。言葉で表現するのは難しいけど、通り過ぎた村々はTVのドキュメンタリーで観たことのあるような風景がそっくりそのままありました。

初めてマラウイの首都リロングウェに来たときは確かに他の発展途上国と比べても発展していないと感じますが、それでも街にはモールやスーパーがあり現代的な品物の大体は手に入り、ムチンジに来てもマーケットやタクシー、病院、警察署などお金と人の流れがあり、確かに「経済」の流れを感じますが、この村々にはそれらは全くありません。そして、それは目的地に村も全く同様でした。村の人々の服装はボロボロでほとんどが裸足でした。マラウイの格差が目に見えてありました。

村に到着すると、村人が続々集まってきました。おそらく外部の人間、それも車が3台も来たのが珍しかったのだと思います。しかも、その中に白人(マラウイではアジア人も白人扱いです)がいるので物珍しさより一層だったと思います。

物凄く見られます。半端じゃないくらいジロジロ見られます。気分は大スターです。大谷翔平の気持ちがわかりました。()

Donation先の少年とその両親に会うと他の村人も集めて(すでに集まってきているが)、同僚とその関係者がDonationのためのセレモニーを行いました。私のCP(カウンターパート)がMCを行いDonationの理由やらDonationしてくれた人の紹介やらチェワ語でしました。(正直内容はさっぱりでしたが)、その後融資者のかたがこれまたチェワ語で(たぶん)素晴らしいそうな話をし、少年に車椅子とベッドマット、その他文房具の授与を行いました。

車椅子はマラウイでよく見るボロボロの中古車椅子ではなく、新品のそれも結構いい車椅子でした。タイヤもチューブレスでパンクしてメンテナンスの必要がないようになど色々と考慮されていました。この車椅子はCPが考えて選んだそうです。

その後、CPが本人とその家族に車椅子の操作や介助の仕方を指導しました。正直、CPのことをすごく尊敬し感動しました。しかし、今回のプロジェクトを見て感度したと同時に自分は活動で一体何ができるのだろうか?とすごく不安を感じました。

彼らが私に求めているものは何か?それをこれから考えていく必要があります。

ちなみに、今回の少年は足が不自由な原因はおそらくTalipes(先天性内反尖足)だと思われます。先天性内反尖足は治療しないと、歩行困難となり基本四つん這いでの床上生活が中心になります。日本では、それに対して車椅子や装具など活用して移動手段を得たり、床上生活に特化した環境整備を行うことができますが、マラウイではそれらの手段を得ることは難しく、生活するの自体が困難になってしまいます。しかも、ここはマラウイの僻地中の僻地。普通ならそんなことはできませんが、今回のプロジェクトで少年は一つの移動手段を得ることができたと思います。この後のフォローアップなどもできれば一番良いとおもいますが、まずは大きな一歩だと思いました。

ちなみにそもそも先天性内反尖足は、乳幼児期に治療が行われます。しかし、彼の場合はおそらく小さい頃に治療を受けていなかったのが原因だと思います。そもそもムガンダには病院がなく治療をうけるにはムチンジに来るしかありません。しかし、僕らがここに来るのにすごく時間がかかったようにここからムチンジの病院に行くのはものすごい労力と交通費がかかります。しかも村にはミニバスなんか通ってないので、まずはムガンダの街にまで別の手段(徒歩、バイタクなど)行く必要があります。

このようにマラウイにはまだまだまともに病院に通うことすら難しい人々たくさんいることを思い知らされました。そして、彼のような人を救うためにも幼い頃からの早期のリハビリはとても大切なことだと実感しました。